校長のひとりごと

江戸幕末の話である。

 江戸幕末の話である。 世は勤皇佐幕で大いに騒然としていた。 海道一の親分が居る清水 (現静岡市清水区) の沖で海難事故がおこった。 海難にあった乗船者は海に消えた。 何人かは街の中央を流れる巴川の満ち潮にのり河口から上流へ流された。 地元の人達は流れ着いた死者をどうしたらよいか困惑していた。 死者は勤皇の武士であったからだ。 死者を葬ることによってお上からお咎めを受けることを恐れたことによる。 そこで親分次郎長は男気を見せた。 「死んだら官軍も賊軍もない。 皆仏様だ」 といって彼等を厚く葬った。 大親分の義に対して時の代官も咎めることはできなかった。 その後地元の人達に守られている。 碑は河口近くに今でもたっている。
 9月27日 (火) 安倍元首相の国葬は東京北の丸公園武道館にて行われた。 安倍元首相の功績が海外から大きな評価を得ている証左であろう。 海外から要人が続々と弔問に訪日した。 国葬について世論は二分した。 物事には必ず両面がある。 賛成反対あるは当然のことである。 反対する人達は手続き上の問題。 人一人に莫大な税金を使うな。 モリカケ問題 (ソバ屋の注文ではあるまいに) と動員されてのシュプレヒコールし政治利用している。 言論行動の自由は憲法で保障されている。 しかし人が亡くなり葬儀の日ぐらいは静かにしていることはできなかったのだろうか。 海外から訪れた弔問者はこの状況をどうみたのだろうか。 この日は死する人への哀悼の情をもって静かにしていることが礼なのではないだろうか。

22年10月10日