陰暦 (旧暦) は満月から次の満月の間を一月としている。
陰暦 (旧暦) は満月から次の満月の間を一月としている。 農事の一年に行うべきマニュアルはこれによっているところがある。 維新後、 明治政府は欧米列強に肩を並べるべく富国強兵を国策とした。 それには欧米と共通する暦を使用せねばならない。 よって陽暦 (新暦) に切り換えた。 新暦を導入しても永い間の習慣は人の肌のようにピタリとして離れることはできないが季節、 年中行事にずれが生じてくることになる。 陽暦の一月年賀状には迎春、 新春と記す。 大寒を前にしているにも関わらず。 三月桃の節句の花は未だ咲いてはいない。 五月は端午の節句鯉のぼりをあげる。 五月晴れの青空を若葉が創り出した空気を吸いこみ悠々と泳いでいるシーンを見ることができる。 しかし新旧はほぼ一ヶ月ほどになる。 五月晴れは新暦の五月でなく六月の梅雨の晴れ間のことをいったようである。 俳句の古い季語などは旧暦において生れてきたものである。 日本人は古来より季節の移りに敏感で繊細な感性をもっている。 世の進歩は大いに期するところであるがその分だけ日本人的心が失われているようでならない。 ここで思い切って年中行事を旧暦に行うとしてはどうであろうか。 失われつつある日本の心を保ちつづけるために。 と後期高齢者は呟くのであった。
23年06月09日